火の鳥 後編 (補助人工心臓装着手術記)

前編に続き、今回は後編と今の自分の思いを綴っていきます。

約8時間に及んだ手術の後、人工呼吸器をつけてICU(集中治療室)へ移りました。

母に何か伝えたくて紙に何か書いた夢を見たような、周りの声がうっすらと聞こえたような気がして、ある日、ふっと目が覚めました。体中に無数のチューブと点滴が繋がれていること、口には酸素マスク、鼻から喉にかけて痛み(流動食と飲み薬を直接胃までつなぐチューブ)があることだけは分かりました。目が覚めたのは26日の水曜日。5日間寝ていました。

まだ、麻酔が抜けきってないのか、意識は朦朧とし、頭の中は絵の具がぐしゃぐしゃになったようにグルグル回転していました。何よりも機械がまだ体に順応しておらず、(今までは弱い力でも自力で血を送っていたのに、急に機械で無理やり全身に血が回るようになった)倦怠感、吐き気、腹痛、傷の痛みがありました。

その日の夜、同じICUにいた赤ちゃんの泣き声が聞こえました。もちろん顔も名前もわかりません。でも、その声を聞いた瞬間、「自分がどんな状況かも分からない赤ちゃんが一生懸命病気と戦っているのに、26歳の男が弱気になってどうするんだ」とその時感じました。私の知り合いのお子さんに病気と闘っている幼い子がいます。その子のことも思い出し、泣き声が聞こえる度に、自分を鼓舞し、拳を握りしめ、苦しみと痛みに耐えながら、赤ちゃんを応援しました。あの声がその時の自分を救ってくれました。

2日目の朝からも体調は良くありませんでした。時計はじっと見ていても、少しずつしか進まないし、自分では身動きも取れず、もちろん食事はおろか水分すら摂取禁止、絶え間なく続く吐き気と極限の渇きの中で、ベッドの上で1人じーと耐えました。

午後3時。1日に1時間の家族面会の時間がきました。そして、久しぶりに母の顔を見た瞬間、私の目から急にどばーっと涙が溢れ出しました。この人は心から本当に自分のことを思ってくれているんだと表情で分かった瞬間、これまで自分が1人で背負いこんできたものが弾けました。声もまともに出ず、顔をくしゃくしゃにしながら涙を流し、「今回はほんまにほんまにキツかったわ」と弱音を吐くことができました。
母とは4月から色んな苦しみも全て一緒に乗り越えてきたので、自分の言葉で全てを理解してくれたのでしょう。「ほんとよう頑張った、よう帰ってきてくれた。あんたはみんなのヒーローじゃ。」と私の手を握り母も大粒の涙を流していました。「あ、自分は誰かに必要とされているんだ、愛されているんだ、1人じゃないんだ、これが家族なんだ」と心からその時に感じることができました。

母と1時間手を握り、泣き合ったのは多分あの日が最初で最後でしょう。笑

3日目になると、不調の波は少しずつ小さくなりました。少しずつ話もできるようになり、自分の状況も分かるようになりました。この日の看護師さんとは野球の話で少し盛り上がったりしました。

この時の看護師さんは積極的に話しかけてくれ、何かお願いすると優しく快く対応してくれました。そして、下の世話が必要になった時は、嫌な顔一つせずに、「ちょっときれいにするよ〜、ごめんね〜」と言って一生懸命に対応してくれました。シーツも変えなくてはいけなくなった時は、若い男性の看護師さんと2人がかりで大きな私の体を動かしながら、笑顔で優しい言葉を何度もかけてくれました。

その時、自分の今までいろんな感情が溢れ出し、優しくしてもらって本当に心から嬉しいと、涙をこぼしながら2人の看護師に話しました。その日に会った人達の前で泣いたのは、人生初めてのことで自分でも驚きでした。でも、その時はそれほど精神的にも肉体的にも追い込まれていたんだと思います。手術を担当してもらった医師には「頼むけ、元気になって歩いてや!」と声をかけてもらったり、手術まで診てもらっていた内科の先生は毎日のようにICUに来て、「しんどいのは今だけやから、あとちょっと頑張って」と励ましてもらったり、看護師さん達には本当に優しく一生懸命に対応してもらっています。いろんなこともありましたが、それ以上に彼らには感謝と尊敬の思いでいっぱいです。医療関係に勤めておられる方々、本当に素晴らしい職業だと思います。

それから先は少しずつ安定し始め、29日にはICUから心臓血管外科の集中治療室へ移動し、リハビリもできるようになりました。初めてベッド横に座った時は頭が重くてそのまま前に倒れそうになったり、初めて立って歩いた時には10mほどが途方もなく長い道に感じたりしました。
そして、8月30日には久しぶりに相方と再会することができました。See you soon! と手術前に約束し、苦しかった時は「これを乗り越えれば、また相方と一緒にいれる。そのために手術を受けたんだ」と何度も自分に言い聞かせていました。やつの顔を見た瞬間にまた涙がこぼれてしまったことは言うまでもありません。(多分、この1週間で10年分くらいの涙を流しました。笑)

そんなある日、看護師さんと話をしていた時に、看護師さんが急に「それにしても手術大変だったなぁ、2回も手術したもんなぁ」と言いだしました。あまりに唐突なことで「えっ!?どういうことですか!?」と聞き返すと、「あれ、聞いてなかった?21日の手術のあと、血が止まらんから、22日の朝からもう1度胸を開いて手術したんよ、体の負担も普通の倍はあったと思うで〜」と言われました。全くの初耳でした。そしてあの地獄の3日間のしんどさはそういう事だったのか….と。「たしかにしんどかったですね。でも、もういいんです、思い出したくもありません」と答えました。笑

のちに、母に聞くともちろん母もその事(22日の朝、病院へ呼び出されたらしい)は知っていましたが、状態が落ち着くまで言わずにいたそうです。たしかに苦しかった時にそれを知らされていたら、精神的ダメージは大きかったと思います。

ちなみに、夢だったと思っていた、母に何かを伝えたくて紙に何か書いたのは本当にあったことだったそうです。目が覚めたのは26日だと思っていたのが、実は25日に少し目を覚ましたそうです。その時、偶然居合わせた母に聞きたかったことは「手術成功した?」だったそう。手術という言葉はかけたのに、成功という漢字が思い出せず、うーーん、うーんと唸ったあげく、書いた言葉がなんと「手術succeed? 」

ルー・大柴か!とツッコミたくなりますが、相方のせい(おかげ?)で無意識でも英語を使っていたことに驚きました。

そして、もう1つは「メガネは?」だったそう。まさかです。笑

これから人工心臓をつけたまま心臓移植を待つ長い長い戦いが始まります。

日本の心臓移植システムの一番の問題点は、臓器提供者の少なさによる移植待機期間の異常な長さ(海外では長くても1年以内、早くて数ヶ月)です。去年までは約3年と言われていたのが、移植希望者が増えてきて、これからは約5年と考えた方がいいだろうと言われています。

人工心臓を入れると体の状態も一気に向上し、飲み薬の量も一気に減り、さらに神の薬と紹介した心臓を守るアーチストなどの薬を今では多く飲めるようになりました。

しかし、人工心臓で一番怖いのは脳梗塞、脳出血などの合併症、細菌感染による感染症を発症しやすくなることです。医師や看護師に聞いた所によると、 人工心臓装着後、約2年で約4割がなんらかの合併症を発症、約3年の待機期間までに約2割が合併症、感染症を原因として、命を落とすそうです。じゃあ5年では、どうなるのか…。不安しかありません。脳梗塞などを引き起こす血栓を防ぐため、血をサラサラにする薬を飲んでいますが、それで逆に脳出血が引き起こされるケースもよくあるそうです。もし、それで重篤な障害が脳に残った場合は、心臓移植を受けることすらできなくなります。はっきり言ってそれを考えるとめちゃくちゃ怖いです。自分がこの先どうなるのか全く分からない恐怖はなんと表現したらよいのかわかりません。

それでも今の道は自分が選んだベストな選択だったと思います。後悔はありません。これから退院して、生活に慣れ、できれば仕事を見つけ社会復帰を目指したい。自分勝手過ぎる夢かもしれないけど、結婚して子どもだって欲しい。海外に住みたい夢もまだ諦めたくない。まだまだやりたいこといっぱいある。だから、何があっても絶対に蘇ってみせる。火の鳥のように。

自分にはこの人たちがついているからきっと大丈夫。ありがとう。これからもずっと一緒だ。約束する。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今回は自分の思いを正直に全てさらけ出しました。家族の大切さまた改めて実感しました。

今は発熱も収まり、今日は2ヶ月ぶりに自分の足で外を歩きました。外の世界は最高でした。久しぶりに足が心地良く疲れている感覚を味わっています。体調が落ち着いたので、もし病院に遊びに来れる方がおられましたら教えて下さい。いつでもお待ちしてます。

これからもこのブログにて情報発信していきますので、引き続き応援よろしくお願いします。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. 人が生きようとする時、生に執着する時の鬼気迫る執念のようなものを感じました。眼の焦点も合わない昏睡の中で、震える手でペンを握り、やっとの思いで「手術」の文字を書き、ペン先が泳いで線を引き、何が書きたいのか分からず、途方に暮れ何?何?に対して、眉間にシワを寄せ苛立ったようにペンを走らせて、やっと書いた「succeed?」「え?手術が成功したかどうかを心配してたの?もちろん成功よ!安心して眠りなさい。よく頑張ったね」と答えると、やっと穏やかな顔になって、また昏睡に落ちて行きました。この生きようとする力を見せつけられて、それに応えるよう支えていこうと決意を再確認した瞬間でした。あっぱれ!

  2. ICUの先輩でもあり大学の先輩より

    やっぱり意識朦朧としている時に人はメガネを求めるんやろな?

  3. とりあえず手術が成功して良かった。
    来年か再来年に一時帰国すると思うからそん時に会いに行くわ

  4. ICU+大学の先輩=高島さん
    つい、メガネかいっ!ってツッこみいれてしまいました。はい、ぜひぜひ。会いたいです。

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